月谷町青沼の浅間神社
事前調査
『月谷村地誌編輯材料取調書』の神社明細に、青沼 浅間神社の記載あり。
『足利市 ゼンリンの住宅地図』を年代順に確認。
1984年までは、字青沼の山に社名のない神社記号あり。1985年(昭和59年発行)からは記載されなくなる。

現地での聞き取り調査
神社記号があった山まで行き、近隣での聞き取りをする。神社を知っている方がお二人いた。
「浅間神社」について尋ねると月谷町の示現神社を案内されるため、言葉を変えて「浅間様をご存知ですか?」と聞くと「あぁ、それはこの山ですよ」との返答。
「子供の頃には(浅間様の)お祭りがあった」
「お祭りの時には赤飯が食べられた」
「(倒壊した廃屋)そこに住んでいた浅十郎さんが手入れをしていた」
「工事で山が削られ、そこにあった石碑は移されている」
話のまとめ
終戦後もお祭りが行われていた。信仰が途絶えても、麓に住む朝十さん(ゼンリン調べ)が、昭和40年代までお手入れをされていた。
昭和50年代の末には藪に呑まれて、ゼンリンの住宅地図から神社記号が消える。
県道284号松田大月線の拡幅工事で山が切土され、参道入り口は消滅。県道を南に下った道路脇に石造物を集めた場所が設けられ、山の入り口に建っていた「扶桑教大講義 小澤三郎次の風の碑」は、そちらに移されている。

調査

2013年は、法面コンクリートに作られた階段から山に入れた。

ステップに腐葉土が溜まり、数年後には消失した階段。

藪の中に見える富士講碑。

藪に呑まれている一対の注連柱。
奉 納 大正10年5月 青沼中
石柱の間にしめ縄を張り、俗世と神域の境界を示すもの。
大正9年(1920)が60年に一度来る庚申年だったので、富士山御縁年を記念したものか。御縁年に富士登山をすると三十三回富士登山をしたのと同じ御利益だという。
藪で参道が確認出来ないため、法面コンクリートの上部まで登り、あとは斜面を直登。

少し開けたところに出ると、岩陰に陶器のお稲荷様眷属像(白狐)と盃が落ちている。
ここが富士山の中宮(五合目)であり、富士守稲荷の小祠が建っていたのだろう。

明治九年 扶桑教会 青沼中 浅間大神石祠。
台座の下の岩が、先ほど見たお稲荷様の眷属像があった岩と似ている。
祠の前から辿って行けば、枯葉で埋もれている道もわかりやすい。山を削って富士山を模した、つづら折りの登山道が作られている。

苦労して作ったと思われる登山道も、ゆっくりと自然に帰っていく。

登山道を下ると平場に出た。この先より下は藪。
感想
地誌取調書に記載され、お祭りも行われていた浅間様。登ってみると思いのほか富士山であった。
つづら折りの登山道などは、足利市田中町の浅間神社を連想する。お祭りなどのお年寄りへの配慮か、マニアックな富士山フリークのこだわりか。
近隣の方々に見守られる中での登山となり、浅間様に浅間大神の石祠が祀られていることをご報告出来た。
ここで登山する人もいないだろうが、青沼中の神社ではなくなった山は、他人の土地に立ち入る配慮が必要だと思う。
余談
富士山にある富士守稲荷では、贄にコノシロが捧げられていたことが元禄十年(1697)刊 人見必大の『本朝食鑑』のこのしろの項に記されている。
栃木県栃木市惣社町の室の八嶋(大神神社)でも、贄にコノシロが捧げられている。
勿論、沢山の供物の中の一品としてコノシロもありましたよという話。
『栃木市史』に、下野国に住んでいた娘が富士山の神様になるまでの「一度橋(いちどん橋)」の話が記されている。

江戸中期に寺島良安が編纂した『和漢三才図会』の49巻にある 鰶( このしろ つなし)の項で「東路のむろの八嶋に立けぶりたがこの代につなし焼くらん」の古歌が記されている。また、室の八嶋の伝説に続いて、富士山麓の駿河湾と富士川の汽水域にいる鰶は山神が愛するものだから、富士に詣でる人は食うべからずというのは愚かな人の惑説なりと記されているので「コノハナサクヤヒメはコノシロが好きだから富士詣の人は食べちゃだめ」という話があったようだ。

松尾芭蕉は『奥の細道』の旅にて、元禄2年3月29日(新暦1689年5月18日)室の八嶋に立ち寄る。同行の河合曾良から、ここの神様は木の花さくや姫と言って富士山の神様と同じ神様です。このしろという魚を食べることが禁止されています。縁起(娘の身代わりとして棺にコノシロを詰めて焼いたという「浅間の本地」のような伝承)の説明を受けている。
※曾良の旅日記には毛武村(癸生村=栃木市大塚町癸生)とメモ書きあり。
癸生浅間神社の社伝では、上記の木の花さくや姫とコノシロを身代わりとして逃げ延びた娘が混同して伝わっている。

※個人的な感想として、コノハナサクヤヒメを臼の中に隠したという話から、長谷川角行の法脈に繋がる臼居氏(臼井とも)を連想する。
江戸時代の頃より、富士山の神様は下野から来たという話が広まっていた。





























































































